惜しまれながら死んでいく英雄に憧れての話
この記事は、tumblr reblogging enviroment Advent Calendar 2013第5日目の記事です。
消されたtumblrだけが美しい。
誰もに忘れられたらそれを死と言うのでしょうか?誰かの記憶に残るのならそれは幸せなこと。
ひっそりと、でもバッサリと、気付いた時にその人にすごく残念がられるような消え方がかっこいいなーて思うんですよ。
て言うのが、今年に入ってからある人がふとdsbdから去ってしまって
この人のポスト何を見てもrblgしたくてしょうがないし、このままだとただのコピーになりそうであんまり悔しいからいっそフォロー外そうかなとか思ってた矢先で
すごく驚いたし、すごい嫉妬の念を感じた。
もうずっと手の届かない高みに行っちゃった様で
その人にフォローされるのがおぼろげな夢だったりしてた訳ですよ
あー、こういう事があるのがネットだよなーとか思った。
それ以前にも割と近い人のTwitterの垢消しとか見る機会があって
そういう事が出来ちゃうんだー思い切りいいよなー、かっこいいなーとか
感じた事があって、その当時とか自分には垢消しなんてする覚悟とか度胸なくて
いつかそういう風になりたいって思ってた。
自分のtumblrの理想の辞め方は、もうこれ以上の感銘を受けるポストに出会う事はないだろうものに出会ったときに、
時よ止まれ、お前は美しい!
て叫びながら、それ以降はただそのポストをひたすら定期的にrblgするだけのbotと化して、
ウザがられてフォローもみるみる減って行くってのがいいかなーって。
まぁあれですよね、そう、消されたtumblrで一番の有名どころと言ったらEXPOの人ですよね、あれはあれで憧れある。
でもそこまでのアイデンティティの確立とか厳しい気もするし。
それとか、びっちの人とか、自分はその時にtumblrにいなかったので当時の空気感とか知らないんだけど、
居なくなってもずっと語り継がれるのとかいいなーて思う。
垢消しの後にしれっと戻る事も多々ありますよね、
とか、もうやめようかとかいいながらもずーっと続けてるのとか
いいと思う。人生は宝探しだね。
去年、RACが終わった頃にじょにーさんにブロックされてそのあとしばらくしてねもいさんにもブロックされ、つい最近になってふとしたことからけめーるさんにもブロックされてしまった事がすごく悲しくてずっと喪に服してる。